私たちは物流を担うものとして、交通安全、労働安全の確保を最優先にしています。
私たちは交通安全を願って、車両のカラーをすべて黄色に統一しました。
黄色は、際立ち、注目していただける色、温かい太陽の色として幼児が好んで使います。際立つことで、危険を回避し、注目されることでドライバーのマナーアップにつながり、太陽のように包容力と温か味のある思いやり運転を可能にしました。
私たちの一日は仕業点検で始まります。
ハンドルを握ったら、人を大切にする『思いやり運転』と、
危険を予測する『かも運転』に徹します。
一日の終わりは必ず洗車。車への愛着も湧いてきます。
矢野運輸が創業した昭和40年代は、車社会へと移り変わる途中で交通事故が激増し、年間の交通事故死亡者も1万6000人を超えた時代でした。中でも土木・建築資材を運ぶ大型ダンプトラックは交通公害の代名詞ともいわれ、現在のレベルからすれば無謀運転も多く見られました。
現在の矢野運輸は「揺るぎない安心・安全」を目指す経営姿勢の上にあり、安全は全てに優先するという強い信念の基で、全従業員が業務に当たっています。この方針を徹底させたきっかけは、昭和51年に起きたダンプトラックによる重大事故でした。2度と事故を起こしてはならない、その深い反省から数々の改善を行ってまいりました。
最初に行ったのは、全車両のボディカラーの塗り替えでした。それまでの緑色から鮮やかなライトイエローへ。
大きい車体がどこにいても目立ち、さらに前後のナンバープレート脇に車体ナンバーも大書きしたことから、当初ドライバーには抵抗もありました。矢野運輸の車だとすぐにわかるようになったことから、市民から危険運転の苦情の電話が相次ぐようになり、そのたびに苦情処理に走り、原因を調査してはひとつひとつの事例を元にドライバー教育に努めました。個別面談も含めて、苦情の原因、その時の状況を明らかにしながら、納得するまでドライバーと話し合い、再発防止に努めました。
目立つボディカラーは次第に功を奏していきました。昼間でも夜間でも相手によく認識され、見られることで事故の抑制につながり、ドライバーも「見られている」意識が働くことで無謀な運転をしなくなりました。安全運転は会社の利益のためではなく、自分のため、家族のため、地域のみんなのためと皆の気持ちが変わってきたのです。単に物を運ぶのではなく、心を込めて安全に届けるのだと強く自覚してハンドルを握るプロのドライバーへと変わっていったのです。
やがて苦情の電話は減り、「道を譲ってもらった」「矢野の車は運転マナーがいい」といった内容の電話が増え、それに並行するように無事故記録が伸びていきました。
今、車両のフロントボディには矢野産業の商品である「ミサゴ」「ロック・ワン」のキャラクターステッカーが貼ってあります。
毎週火曜日にはドライバーが顔を合わせる朝礼が行われます。安全運転を確実にするための大きな声の挨拶ではじまり矢野グループ交通安全十則の唱和が行われます。その後、危険を予測する「かも運転」について、社長の安全に対する考え方などの通知が行われ、 全員に危険予知(KY) 活動の意識をもってもらいます。もちろん各自で車両の始業時点検は行い、また、就業時には個別点呼のほか、その日使った車両を必ず洗車することになっています。トラックターミナルには複数の洗車場が用意されていて、毎日素早く、確実に洗い上げるのです。
各車両の所要時間は毎日5分。1週間で30分、1ヵ月で120分、1年では1,440分、”24時間”です。たった5分ですが、毎日洗車しているから綺麗でいられます。
「一日の3分の1以上を一緒に過ごす車を大事にする気持ちが育てば、自然と思いやり運転ができるようになる。一日の業務の全てを通して、人材も育っていくと確信しています」
こうして育ったプロ意識が高いドライバーが定年を迎えた後の再雇用制度もあります。希望があればグループ内の別企業に籍を移して、慣れた仕事を続けることになります。60歳を過ぎても現役で働く姿は、後進にもよい影響を与えています。